格闘家のKIDて人が41歳で亡くなったらしいね。若いのにって思ったら、僕の父は42歳でがんで亡くなっていました。僕が中3の時ね。
当時僕は福島県の郡山市に住んでいて、同じ学年に現ザバダックの公子さんの妹さんの、りえさんという方がいらしてね、学年の中でも唯一ロックの話ができるとても仲のよい友達だった。放課後はいつもロックの話をずっとしていました。
父が亡くなったあと、ほどなく僕はやむなく千葉に引っ越した。そして大学生になったころ、大好きなザバダックの吉良くんがりえさんの義理のお兄さんであると知る。
公子さんの当時の相方である(当時はカラクという名で活動)ガリホこと保刈久明さんも、実は郡山出身。
そして今ご一緒させていただいている、「島へ行くボート」のあべオージさんはじめ、多くのミュージシャンたちと知り合う。
一方僕は有頂天のギタリストということで、ナゴム系のパンクシーンにいたのですが、どうにも居心地が悪くてね(苦笑)、ナゴム系の人らとはからまず、吉良くんたちの一派らといつも遊んでました。だって音楽はこちらのほうが好きなんだもん。シャルキィロマをやる理由はそのあたりにあるんだよ。わかるでしょ?
だからね、シャルキィロマとザバダックが一緒にできたことは、僕にとっての宝物なのです。
僕の音楽における縁は、実は14歳ぐらいから始まっていたのでした。いや、きっとそういうことなんだろうね。
とりとめがないですが、好きなことにおける縁を大事にすること。そしてやりつづけること。それが死ぬ時に後悔しないことに繋がる気がするんだよ。
樹木希林さんの話を聞くにつけ。